リーディングドラマ「ヴィヨンの妻 で ございます」

 2009年4月4日(土) 彩の国さいたま芸術劇場小ホールにて
 第5回《声の会》自主公演を上演しました。
 原作 太宰治(『新釈諸国噺』・『ヴィヨンの妻』)より
 構成・演出 浅川安子  出演者 16名




 太宰は「声」を待っている

 太宰については語りつくされた感がある。生い立ち、津軽という風土、その生のかたむき、作品の価値等々、太宰その人にひきずられるように、人々は細部まで語らずにはいられなかったのだろう。
 ところが不思議なことに、太宰の作品は声に出してはほとんど「語られて」はこなかった。これほど「語って」「語って」と言葉の一行ずつが願っているのに。太宰の作品は大概が話体なのである。黙読されるより、声に出して「語られ」たい作品ばかりなのだ。そのリズム感、あふれてくる言葉の勢い、ちょっとした場面の切りとりの中のユーモア、瑣末とも見えるところに放つリアリティと大言する人生観との間の振幅の大きさ、どれも声に出して語ると、実に生き生きとイメージがとびかうところだ。
 太宰は「声」を待っている。
 だから《声の会》は太宰さんに応えることにした。

 「ヴィヨンの妻」ほど、今日的な作品はないとも考えた。その今日性は、練習がおしつまったこの半年、よけい加速してしまったようにも思われる。
   私たちはどんな時代に生きているのだろう。
      私たちはこの時代を真摯に生きたいのです。
          どう生きればよいのでしょう。

 私たちも太宰の心と共感してまいりました。太宰の答えが一筋縄ではないように、この時代に生きる術にも簡単な答えは出ないようです。

 今年は太宰の生誕百年目。私たちの舞台から新しい太宰が立ち上がりますよう。そうやって《声の会》は「声」を通して、皆様とつながりたいのです。  
                            (構成・演出 浅川)



『新釈諸国噺 赤い太鼓』について
 戦争末期、太宰は古典や昔噺などに取材した「健康的」といわれる傑作を次々発表した。これは西鶴作品を太宰流に書き直した短編の一つ。


むかし都の西陣に、織物職人の家多く、軒をならべておのおの織物の腕を競い、家業に励んでいる中に

出演者から

・昔も今も同じ。魔物のお金が跳梁する中、けなげに、したたかに、人は生きていくのです。大谷も、その妻も、居酒屋の夫婦も、皆いとしい人たちです。(名越)
・初参加です。表現の難しさを痛感しながら、言葉の持つ響きとその力に驚いています。(江澤)


徳兵衛とて、名こそ福徳の人に似ているが、どういうものか、お金が残らず肝を冷やしてその日暮らし


・生きることの怯えを敢えて”人でなし”となって克服せんとする男。変幻自在に生きられる女。埒を求めてあがく男は、妻の周辺に揺らぐ陽炎でしかない? 人非人でもいい。開き直った女への屈折した礼賛ー女は紡ぐ。強く。(小川達)




・太宰治生誕100年という記念する年にあたりました。昨年、声の会の方数人で、太宰のゆかりの場所めぐりとお墓参りを致しました。「ヴィヨンの妻」の一節を朗読して、今回の公演が無事に終わるようにお願いしてきました。不安と恐怖に苛まれた暮らしを表現できると良いと思っております。(岩淵)




・「板倉様」と「酒場の主人」。時の名判官と市井の人。知略・温情の人と、浮き沈みの苦労を重ねた商売人。板倉裁きの行方と苦渋に満ちた人生の哀歓。「人生の年輪」のようなものが少しでも滲み出れば・・・。(田中)
・学生の頃、深入りすると危ういと警戒しながら読んでいた太宰。今回新たな魅力を再発見しました。(中村)



こんな言葉

・お内儀もおちめを人に見せないところが女房の働き。
・いいなぶりものにされました。あたしは恥ずかしくて、この世に生きていられない。
・人を恨んで死ぬのは、地獄の種だ。
・とかく情けは損のもと也。
・なまなかの情けはかえって人を罪におとす。

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 文学散歩「太宰のゆかりの地を訪ねて」


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