リーディングドラマ「夢十夜」

 2022年7月23日(土) 彩の国さいたま芸術劇場小ホールにて
 第18回《声の会》公演を上演しました。
 
 構成・演出 浅川安子  
 美術     辻   憲(画)
         長塚靖史(デザイン)
 制作     中村淳子・藤井裕子

 技術協力  (財)埼玉県芸術文化振興財団事業部



漱石にとって「百年のこと」「待つこと」「翻弄されること」
そして「落ちること」と「消えること、ずれること」
最後に「生まれること」と「死ぬこと」と。

 本当に奇妙な夢ばかりである。やっぱり漱石は暗いな。時間が暗い。空間が暗い。たしかに私たちは、追っかけらりたり、落ちてしまったりの夢をよくみる。でも、まあ、朝になれば忘れてしまえる。しかし漱石にとって夢とは、潜在心象の原点なのだろう。こんなぞっとするようなイメージだらけだったのだろう。
 漱石は母に愛されなかった子と言われる。小品『硝子戸の中』で語られるように、両親の晩年になってできた末っ子だった。母はこんな年をして懐妊するのは面目ないと言ったとか。それで生れ落ちるとまもなく、小道具屋の商売をしている貧しい夫婦のもとに里子に出された。ガラクタといっしょに小さい笊の中に入れられて毎日夜店にさらされていたのを、姉が見つけて懐へ入れて家に帰ってきたと漱石は自分の生い立ちを記す。その後新しい養子に出され、その養家のごたごたでやっと我が家に戻り、父母と暮らせたのが小学校に入ってから。籍が「塩原」姓から「夏目」姓に戻れたのは大学に入ってからなのである。
 イギリスに国から留学生に選ばれてからも、その文化になじめず鬱に陥った。暗くなって当然だ。帰国後だって明治という日本を、まるで穴の中で宙づりにあっているようにのたうっている。
 漱石にとっての「百年」。夢の一夜と三夜とではまるで逆方向の語りのようではある。では、本当に逆なのだろうか。百年とは当然私たちにはこの先、生きられない時間。でも50年でも500年でもない、さわればさわれそうな時間。漱石の他の作品でもちらっと100年ともち出す。「百年」とは何だろう。
 この『夢十夜』は待つことが多い。ふっといなくなってしまう。ずれることも多い。今は鎌倉時代なのか明治時代なのか。
 人は生まれ、そして死ぬ。漱石ならずとも生きることはつらい、苦しい、こわい。このコロナ禍、世界は戦争にまみれ、異常気象だ、格差だと、こわい、苦しい、つらい。だからこそ、私たちはこの『夢十夜』にひきつけられるのでしょう。

構成・演出  浅川安子


ひとこと・ヒトコト・一言(出演者より

●第二夜。悟りとは? 無とは何だ? 悟りがなかなか得られないとき、体がもがいている。そんな焦りを感じていただけたらうれしい。(池田桂子)



●第七夜。死にたくて高所から飛び降りる。その瞬間生きたいと思う。が、もう引き返せない。下は見えているのになかなか着かない。後悔と恐怖に怯えながら落下は続く・・・。こんな恐ろしい思いは夢の中だけで沢山だ。(石垣幸子)



●こんな夢を私も見た。生きるか死ぬか、と、なにかわからないものに問い詰められているのだ。自然界からの警告? 権力者による圧力? アマノジャクよ、早く鳴いて全部ひっくり返してくれ!(鬼久保千春)




●学生時代、漱石に惹かれて熱心に読んでいた時期があった。『夢十夜』の言葉に慄然とし、他の漱石の作品と異なる新しい発見があった。今回の公演を通じてより奥深さを感じている。自身でも本番が楽しみです。(太田孝子)


●つい最近、父が百一歳で亡くなった。戦地で生き地獄を見、実直さだけが頼りの一生だった。どんな怖い事、悲しい事、嬉しいことがあったのだろう。父の百年とも重ね合わせながら、豊かな時間を語りたい。(黒澤道子)


●本日は朗読劇の初舞台になります。10ヶ月の練習を経て、舞台に立ちます。思うような表現ができず歯がゆい思いをしたこともありますが、本番は今まで練習してきたことを全て出し切りたいと思います。(清水広美)




●十夜の中で私が読むなら、四、八、十夜がいいなと思っていた。不可思議な笑いがあるところがいい。第四夜は爺さん役のリアルな動きが楽しく、子どもの頃本当に見た風景のように感じられてきた。(関根洋子)


●第一夜は百年後の「女」(白い百合)との「夢のような」再会。第三夜は我が子が石地蔵のように重くなる悪夢。でも夢ですよ〜、第十夜の庄さんもガンバレ!(高橋雄二)




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