リーディングドラマ「楢山節考」

 2021年9月18日(土) 彩の国さいたま芸術劇場小ホールにて
 第17回《声の会》公演を上演しました。
 
 構成・演出 浅川安子  
 美術     辻   憲(画)
         長塚靖史(デザイン)
 制作     中村淳子・藤井裕子

 技術協力  (財)埼玉県芸術文化振興財団事業部



深沢七郎という人

 1956年中央公論新人賞の第一回当選作が『楢山節考』と決まったとき、文学界は、こんな作品があったとは、と震撼したと聞く。選者は三島由紀夫ほか2人。深沢七郎は42歳だった。日劇ミュージックホールでギターを弾いていて、これがデビュー作だった。以後、深沢は名もなき庶民の、それが当たり前のこととして生きていく姿を生のままさし出す。加工しない。(最近の小説は加工だらけ)評価や理屈づけをしない。
 人は生きて死んでいくのだということ。人は食べて死んでいくのだということ。人は生活を作って死んでいくのだということ。「愛」というとヒューマンのにおいがして西洋っぽい。もっと土の匂いのする地べたで、人と物とはいとおしみながら一体化される。
 山の中、やせて米もわずかしかとれない土地の上に、皆たくましく生活を作っている。おりんはやまべをとる腕を自慢するが、本当に上手なのだろう。甕に残したどぶろくはうまいんだろう。一家それぞれが、70過ぎたら神の山に行き、ねずみっ子が生まれたらぶちゃるのをありとして、次代に受け継ぐ。それが庶民なんだと『庶民列伝』や『笛吹川』『東北の神武たち』も語っている。
 私たちも庶民のはしくれである。深沢は茫々たる時の流れを、また一方でテーマにしたが、その流れの末にいる今の私たちに「庶民力」は残っているのだろうか。私たちに”雪”はもはやあり得ないのだろうか。
 深沢は51歳でラブミー農場を開き、57歳で夢屋という今川焼屋を営んだという人である。その独特の人間観と生き死に観を浴びて、『楢山節考』を上演できることを、私どもは震えながら喜んでおります。
構成・演出  浅川安子


ひとこと・ヒトコト・一言(出演者より

●山一つ向こうの村以外の世界を知らない。その閉じた社会で精一杯生きる。そして次の世代に思いを託し、掟に倣って生を終える。それは貧しさ故。おりんの凛とした姿、息子への気遣い、息子が母を送る切ない思いが、たまらない。全てを覆うのは慈しみの雪。(石垣幸子)



●舞台朗読の経験が全くなく、今回初参加いたしました。すぐに楢山節考の舞台に懸ける声の会会員の熱い思いを知ることになり、心が引き締まりました。参加しようと決めたときの初心「楽しんで前向きに」が、一度もぶれずに今日に至っています。「お客様の心に届く」本番でありますように。(太田孝子)



●貧困の中、楢山参りに行くことだけに生き、立派に尊厳死を迎えるおりん。自分の意志に関わらず老若男女の命を奪うコロナ禍の中、来年古希を迎える私は、コロナと共生し当たり前のように死ねる日まで「生きたい」と願う。(鬼久保千春)




●楢山参りに何の迷いもなく向かうおりんの潔さ。貧しい土地や時代に生まれたとしても、自分はとても真似はできないと思う。しかし、コロナ禍のみならず生きづらさが続く現在も、生まれてから死ぬまで生易しいことではないような気がする。(黒澤道子)


●多色の何十メートルの布を買い出し、体育館いっぱいに布を広げて、イメージを語り合い、背景の山々をっミシンで縫い合わせて作り上げていく。毎回行うことではあるが、語りや演技だけではなく舞台背景まで自分たちで作り上げていった「楢山節考」。私は、おりんの歯にまつわる語りを担当するが、力強く凛としたおりんを表現したいと思っている。(関根洋子)

●おりんの美しくも気丈な存在感と、生活の術をなんとかして模索する辰平との親子の情に打たれます。したたかに村社会を生きるけさ吉の度胸も気になります。雪に心底動かされ、掟を破る辰平の歓喜に、心揺さぶられます。深沢七郎は独特の生き方の人だったようで、それは辰平的だったのか、けさ吉的だったのか、はたまた・・・(高橋雄二)

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