リーディングドラマ「流れる星は生きている」

 朗読グループ≪声の会≫第4回公演が、2007年11月18日、彩の国さいたま芸術劇場小ホールにて上演されました。

 藤原てい 原作 「流れる星は生きている
 浅川安子 構成・演出 出演者 18名




満州ーあなたは満州引き揚げを知っていますか。
155万人の居留民のうち、25万人が死んだ。
帰れた人も、語りつくせないたくさんのむごさを背負う。





『流れる星は生きている』を知っていますか。
幼い我が子3人を死の淵から何度も奪い返しながら、
女一人で引き揚げた圧倒されるほどのドキュメント。
生の原点。


かくて三十八度線を境として交通は遮断された。
私たちは茫然と旅支度のまま立ちすくんでしまった。
内地引揚列車だといわれた貨車は、この町の男たちほとんど全部を、どこかへ持っていくためのものであった。


出演者からのメッセージ

・昭和20年8月15日、戦争は終わった。そして始まった、生きるための戦争が・・・・・(M)

・父の勤務先の都合で大連から奉天へ8歳まで過ごした満州は私の故郷。燃えるような夕焼け。地平線を疾走するアジア号。《声の会》への参加に迷いはなかった。演技経験のない私を励ましてくれた皆様に感謝。 (田代)

・信州諏訪の女は強い! てい同様、私も諏訪の生まれです。 (中村)


朝鮮の保安隊の金さんが毎晩のように雪の道を私たちの団へ遊びに来た。
「誰も知らない歌をご紹介しましょうか。南方にいた時、私の部隊の兵隊が作詞して別の兵隊が作曲したんですがね。二人とも終戦間際に死んでしまいました」
『くちびるを我が手に当てて 泣きいたりし
かの人こいし いまぞこいしき』
くに子さんは結婚直前に別れた恋人のことを歌っているに違いない。
「かの人こいし、いまぞこいしき」は、みんなの心そのものだった。


・座ったまま、本を読むのかと思っていました。でも間違いでした。一番辛いのはしゃがんだままだったり、中腰が多いことかな。なかなかきついですよ、椎間板ヘルニアの腰には(笑) (へとへとLUCY)

・「生類の破滅に向かう世にありて生き抜くことぞ終の抵抗」。このドラマの練習中、故鶴見和子氏の歌が目にとまりました。改めの生の重みを感じつつ浅川氏始め全員の気迫と熱意の中に巻き込まれています。 (名越)

「家の前の日当たりのよいところに、縄を半径として円を書いて、その円周上に方位のしるしに棒を打ち込みます。中心に棒を立てて水をかけると、こちこちに凍った氷の日時計が出来るんです」 「よかったら私と一緒に石鹸売りに出かけましょうよ。あなたは今一銭もないでしょう、あなたがここですっかり変わらなければ、あなたの家族は全滅よ」


・昭和10年生まれの母も満州からの引揚者です。その時、末妹は船上で亡くなりました。3歳だったそうです。 (長須役)

・初参加の落ちこぼれ爺です。女性パワーに押されて何とか今日の公演まで来ました。中国残留孤児と同世代ですので、他人事とは思えません。 (橋本洋介)


変だ、もしジフテリアだったら・・・。正弘は苦しそうに身をもがき始めた。
「ジフテリアの血清がなければどうにもならないんですって、それには千円ぐらいかかるんですって」
今は百円しかない。千円をどうして作ろう。
できそうもないとしたら・・・
共同墓地がちらっと頭をかすめた。
「すみません。お金を用意してこないで、血清を打って戴いてからお願いするなんて・・・」
「奥さん、千円くださいと誰がいいましたか」
「すみません、私は前の病院で・・・」
「私はまだ処置料を請求していませんよ。私がこの時計を千円で戴きます。
明日もう一度きなさい。希望を失わないで、日本へ帰るまで頑張りなさい」



・幼い子供を連れての長い長い引揚行。とても今の自分にはできそうもないと思う。せずにいられる世の中にせねば。 (クロ)

・1941年生まれの私でも、満州引揚の事実をよく理解していませんでした。今回自分なりに勉強し、今の平和を大切にしなければとあらためて思っています。 (鈴木義明)


「藤原さん、二人の子供と一人の子供とどっちが大事なの、あんたは」
「二人の子も一人の子も大事よ」
「ふうん、そう出来る人は、そうすればよいでしょう。私は私の考えしかないから」
「新幕まで汽車で行ったとして、そこから西へ行くとすぐ山へぶつかって駄目、東に廻ると新渓まで25キロ、ここから山の中をさらに40キロ南下すれば開城につく」
「日本人が道端にいっぱい倒れている中を幾日も幾日もあるかねばならない」


・三人の我が子に「生かす」と「生かさない」の選択をしなければならないとしたら・・・・苦悩に満ちた崎山さんの心情を表現したいと思います。 (瀧川文子)

・原作を読み、感動した思いを込めて、本番に向かい、心から演じるのが望みなのですが・・・・。多くの方々に支えられ、今日を迎えることができました。ありがとうございます。 (知)


足から手、手から足と身体中を摩擦しているうちに心臓の鼓動がぴくりぴくり見えるようになってきた。「しめた、助かった!」私は湯気の露が額から玉となって落ちる中で一生懸命こすった。 「私を見てください、この惨めな姿を。半パンツ一つに、破れたブラウス一枚、それに三人の子供は死にそうよ。一文なしの私を殺すも生かすもあなた一人の決心よ。ねえお願い、五百円貸してください」

・「流れる星〜」を演ずることで、満州からの引揚を疑似体験しているような気持ちです。戦中、戦後、国策のもとに辛苦の経験をした方々がいます。「国とは国民を護るためにある。」と思いたいのですが・・・・・ (SI)

・リーディングドラマとは何なんだろうか。朗読、語り、芝居、そのいずれでもない。演者の立場から言えば、一見易しそうに見えて実は難しい側面もある。どんな舞台に仕上がるのか、楽しみでもあり、若干心配でもある。 (能村)


「もうお母さんはお前たちを牛車に乗せてあげるお金がないの。正弘ちゃんごらんなさい。正彦ちゃん、ほらあの高い山を明日こえなければんらないんだよ。明日はしっかりしておくれ」 広い川が行く手をさえぎっている。
正彦を水の中を引きずって行かれる恐怖のために、「ひいっ! ひいっ!」と泣いて私にしがみつこうともがいた。「泣くと川の中へ捨てちゃうぞ!」


・今では考えられない満州引揚の壮絶なお話。生まれて間もない赤ちゃんを連れ、混乱する情報の中を命からがらの引揚。途中事切れた子を泣く泣くおいていかなければなりことも。今の幸せを大切にしたい。 (岩淵久美子)

・苦難の連続、悲惨の極み・・・・想像力の目を凝らすと、<人間>が<いのち>が、覆いかぶさる<影>が見えてきます。そして僕は、かつて高校の演劇部顧問だった時代の部員たちの苦しみや喜びも追体験しています。 (勝)


私が一歩誤れば母子二人溺れるに決まっている。
こうやっていくつ川を越えたか覚えていない。
「藤原さん、三十八度線じゃないかしら」
「そうかもしれない」
その白いものこそ、一年余りの間私たちの心を離れたことのない、三十八度線の木戸であった。

・わが面々のすばらしさ! 愚直なまでの真摯さ! (A)

・生きるか死ぬかの厳しい状況下で、ともかくも三人の子供を連れて生きて日本の地を踏んだてい。振幅の大きい内面をどう語りと演技で表現すればいいのか難しかった。「身捨つるほどの祖国」も重い言葉。 (野辺)

「もういいんだ、助かったんだ、生きてきたんだ」と、うわごとのように口走った。
すべてのことはそのままに、私の人生の終末のような深い眠りに入っていった。
「引揚者休憩所」という木札のぶら下がってある待合室に一歩足を踏み込んで私ははっとして立ちすくんだ。
そこには幽霊が立っていた。

・声で語る・伝えるという難しさを実感中! 幼子三人の命に対する執念、驚愕の母の愛の力を少しでもお伝えできればと思っています。 (C)

・与えられた「時代」の中で、あきらめず、ただ守ることに命をかけた、ていの生き方。戦争を知らない私たちが、語り継ぐべきものは? 思いを込めて・・・・ (泉)



「満州」 リーディングドラマ 

 去年の11月27日、九段会館は通路も人で埋めつくされた。「引揚60周年の集い〜いま後世に語り継ぐこと〜」という集いである。戦後61年目にかぜ60周年記念なのか・・・。そこに満州引揚の悲惨がすべてこめられている。
 満州にいた関東軍はソ連侵攻と同時にすばやく朝鮮に移動し、復員できた。一方民間人の多くは収容所に入れられ、一年近く待たされたのである。迎える準備ができていないと。
 その間の筆舌につくしがたい体験は、しかし、ほとんど個々の体験記でしか表現されてこなかった。例えば原爆体験や空襲体験などと比べて、何と少ない表現であったろう。それは、そもそもなぜ「引揚者」が発生したのかとう植民地政策の歴史に向き合わざるをえないせいか、それにしても在留125万人のうち、死者25万人の事実を、黙って通り過ぎていいはずはない。


ここに『流れる星は生きている』という圧倒的な引揚の記録がある。昭和24年、藤原ていさんは、引揚後の病の中で、連れ帰った我が子にありのままを語り残してから死にたいと、ペンを握り、ベストセラーになった。なまじ「感動の」などという形容詞はつけたくはない。私たちはただ心揺すぶられるばかりである。

スタッフのプロフィール

三宅悠太 作曲・ピアノ

1983年東京生まれ。2001年国土交通省CM音楽公募優秀賞、2005年第16回奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門第一位。現在、東京芸大作曲科在学中。

細谷 晋
 パーカッション

1985年埼玉県生まれ。県立伊那学園高校を経て、現在洗足学園音楽大学打楽器コース在学中。演奏活動を中心として、中高生の指導や作編曲等幅広い分野で活動している。

依光正憲 美術

東京学芸大学美術科卒業後、東京の小学校に37年勤務。その間、現代美術社教科書他、美術教育関係の編著多数。退職後は後進の指導や念願の工作に打ち込んでいる。


そして《声の会》

 わたしたち《声の会》は、朗読好きが集まった普通の市民団体である。誇れるものは、うまい下手を越えた<思いの強さ>と、こう創りたいと思ったら走りこんでしまう蛮勇だけ。今まで舞台化した『星の王子様』『ギリシャの男たち トロイアの女たち』『にごりえ』は、どれも私たちが心揺すぶられ、何とかその想いを届けたいと身の程知らずにリーディングドラマとして、立ち上げてきたものだ。
 どんな音楽? どんな美術? どんな照明? どんな声? どんな語り方? 私たちはそれぞれの持つ奥深い世界を何とか表現したいと願う。そうすると、ちゃんと助けてくださるすばらしい専門家と出会える。感謝、感謝である。

 もう一つ感謝したいこと、それはこの舞台を観に、足を運んでくださった皆様です。 (浅川)




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